4年ほど前に家庭教師で指導した生徒は今頃何をしているのか、その事ばかり最近考えている。何だかんだうまくやれていそうだ。一方僕はあの頃から何一つ進歩などなく何も出来ていない。


  「外に出てたまに小中の同級生と会うのが嫌で仕方ないから実家をわざわざ出て上京してきたのに今度は芸能人になってまで僕の前に現れる人がいて、どこへ逃げればいいか分からないんだが、今どうしたらいいかわかった。テレビを壊せばいいんだよ。」
 
  そういったセリフを言いたかったはずなのにあまりそんな気分にはなれなかった。というのはその芸能人が何だか自分の知っていたその人とは明らかに違っていて、見ていて悔しくもあり恥ずかしいのだ。好きだったバンドの歌詞に「性を売りにしてここまでやってきた」というものがあってそれをひしひしと感じてしまうし、何だかもう逃れられないものがあるのだな、とまた認識してしまう。どんなにあの時点で輝いていた人も今では別の場所があって、またそこで輝くことを目指していて、私もそう言った風に生きているつもりなのだけど、目の当たりにすると嫉妬に似た感情や様々が駆け巡る。
 
  そもそもが小中から変わることの無い人間などいるはずはなくて、私の言ってる事などは意味の無いことだとは思うし、現に私はより内向的になったと思うのだから。
  とにかくおめでとうだとか祝福よりも人生に対する後悔というか、私が内心馬鹿にしてきた彼らが正しかったのだという思いが駆け巡り、止まらない。TSUTAYAに通うよりもギター教室に通う方が正しかっただろうし勉強するよりもとにかくどこでも良いから現役で大学に入ってなんの後ろめたさもなくサークルにでも入れば良かった、彼らのように大学など行かないという選択でも良かった。
   彼らが頑張っている一方でつらつらと何かをまだ書いている私などは通勤途中の川にでも沈んでしまえば良いと本気で思う。